叛逆二回目の所感メモ 【魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語・三回目の前に】
2013/12/14(Sat)
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今日から魔女図鑑配布と言うことで、三回目を見に行ってこようかなと思います。って金沢イオンシネマもう一日一回だけの上映なんだよね… やだぁ人いっぱいかなあ。

その前にこないだ二回目を見た後にダーッと書いたメモをどっかに載せておこう、で私の言うどっかなんてここしかないわけで、書きます。ホントにメモな所感なので、難しいことは考えないで。
ただこれだけは表に書ける。叛逆は二回見ることで初めて見終わったと言える。と思う。






ほぼ自分用メモです。

ほむらちゃんがあんなこと(アルまど引き裂き事件)をしたのって、キュウべぇが「君は永遠にまどかに会うチャンスを失ってしまうんだよ!」って言うようなことを言われたからなのかなあ、とフト思った。それえほむらちゃんの中の欲がバーストしちゃった感じ。そう思ったの。でもケタさんが昨日リプしてくれたように、VS魔女ほむらの時の「来ないで!」が演技だとは私も思えない。あの時は本当に魔女のまま自滅していこうと思っていたんだろう。でもそこにまどかが来てくれて、自分の真の欲……と書くと汚いからあえて“願い”と書くと、その願いに気付いたんだろう。
「まどかともう一度会いたい、ずっと一緒にいたい」 そしてまどかをアルまどにしてしまったことを「間違いだった」としてしまっているほむらは、アルまどシステム通称・円環の理からまどかと言う人格を引き裂いてしまう。 ※あの花畑でまどかがほむらの髪を結ってるところ、あそこのまどかはアルまどの記憶を持ってないだけでまどか本人であり、「ほむらちゃんが泣いちゃうようなの耐えられないよ」と言ったことはまどかの本音であるので「私は、なんて間違いを!(やっぱりまどかを魔法少女にするんじゃなかった!)」となってしまったほむらちゃん

しかしあのデビほむ、ある意味キュウべぇみたいな存在になったと思わない? キュウべぇも人間のことなんてどうでもいいと考えてるけどほむらも正直まどか以外はどうでもいい感じやん? さやかに「仲良くしましょう?」とか死んだ目でのたもうてるけど。強引に言ってのけた「愛」にしたって私達からしたらまさに「わけがわからないよ」っていう。なんだかキュウべぇと同じで私達の理解の向こう側にいる存在になってしまった感。
マァほむらちゃん大勝利ではあるのよこの話。でもホンモノのまどかにほむらを否定されちゃって見てるこっちからしたらざっまあwwwww でもあるのよね。ここで終わってもやっぱりいいと思う。見た人にとっては二回見ることで終わるんだわ。
「私は正しい選択をしたんだよね? でも、アレ…? なんかまどかと敵対するみたいなことになって…アレ? 私はこんなの望んでなかったんだけど… アレ? どうしてこうなった└(^ω^ )┘! どうしてこうなった└(^ω^ )┘!」みたいな、そういう“失笑”感があって、これもアリだわ。と。ちびまるこちゃんばりの顔面蒼白に縦線入っちゃってるほむらちゃんみたいな ちびまるこちゃん風のあのラストのほむらとまどかのやりとり見てみたい。誰か書いて。
二回目で私の中でデビほむは完膚なきまでに正まどか(今までの記憶やアルまど記憶を持たない純粋なまどか)に否定された感じがするので、今まで抱えてたモヤモヤがパーンと晴れた感じがした。そこそこ満足でした。やはりまどかは神。でもやっぱりほむらちゃんとまどかが心から笑っているところがみたいので、そこを見ないと終われないので、続編希望です。だってほむらちゃんひとっつも笑ってないよ。心から。本当の意味で。見てきたのは戸惑ってる表情、厳しい表情と絶望してる表情と勝ち誇った表情、そして行きついた先は死んだような目ですよ。こんなんヤですよ。

ここでブレイク突然の杏さや。杏さや泣いた。ほんともう(´;ω;`)
そして消化器理解。シャフ度さやかの「転校生?」にゾクゾク来た。

叛逆を見ると何故か笑ってしまう。そう、書いた通り「ざまあ」の(笑)である。それもほむらに対してのものだ。
つまり叛逆は“喜劇”なのだ。まどかを得たはずなのに得ていないほむらは愚者や道化そのものだ。EDでは幸せそうに二人のシルエットが踊っているのに、エピローグではほむらが独りで踊っている。とても寂しい。
エンディング前にしたってそう。杏子とさやかの楽しそうな笑顔、マミとなぎさの出会い、まどかと家族達の幸せそうな笑顔。でもそこにほむらはいない。ほむらちゃん大勝利! のはずが、むしろさやか達大勝利! になっている。ほむらちゃんは叛逆を成功させたけど、幸せとは言えない。とにかく、これで良かったの? と言う気分になってくる。
デビほむがのたもうた「愛」 愛、とは、私は第一に利他的なものだと思いたい。なので利己的をぶっとおして愛だとのたまうデビほむのそれはやはり 愛ではなっい~!(c)中島みゆき なのだ。さっきから散々書いているけど、ほむらが真に愛を得たと言うのなら何故ほむらは笑わないのか? なぜ死んだような枯れきった瞳でいるのか? 杏子とさやか、まどか達は幸せそうに笑っているのに。ほむらは結界内で感じたような「何かがおかしい」を、今も感じているのではないか。
ほむらが今手にしているのは自らが愛とのたもうたソウルジェムだけである。孤独だけである。喜劇は悲劇で悲劇は喜劇であるのなら、叛逆もやはりその例に漏れないのだ。まどかを手に入れたはずなのに空虚を得たほむらに私達は笑うし、その孤独に悲しさを感じる。
「ほむらを幸せにしてやってほしい」そう思う気持ちは同情とか憐みと言った方がいいのだろう。でも私は観客のこの気持ちこそが正しく「愛」であるように思う。

メモ、ここまで。
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