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哀歌
2016/02/20(Sat)
昨日の夜に祖母が亡くなりました。
介護施設で生活中のところ、ちょうど去年の二月に脳梗塞で倒れ、それからおよそ一年、体をどんどん小さくさせながら、そして傷つけながら、必死に命の灯を燃やし続けていました。

昨日のブログを書いているところに容態急変のしらせが入り、取るものも取りあえず一家で急いで病院に向かいました。病室に入った時にはもうあちらに旅立っていました。涙をこぼして遺体に語りかける父の姿は頼りなく、ああ、そうだ。この人私のお父さんでもあるけど、おばあちゃんの息子でもあったんだな……と、今更なことを思わせずにはいられなかったです。
今週の水曜日から容態が悪くなっていて、母の方も既に葬儀の段取りにとりかかっていました。何せ週末になるからと祖母名義の口座からお金を全て下ろしてきたくらいである。その後は馴染の葬儀屋さんとてきぱきと作業を進め、何だか事務的だなあ…と心ここにあらずの状態で思っていたりしていました。

一年間ずっと覚悟に覚悟を重ね、常に祖母の死が来ることを心のどこかで考えながら生活していました。笑っていても、楽しんでいても、“もし、明日……” そんな風に身構えていました。こんなことをしているけど、お祖母ちゃんは今すごく苦しくて……と、必ず振り返って考えていました。あと、忌み言葉としてかなるべく「死」と言う言葉を使わないよう努力してもいました。使うことがあってもわざと平仮名で書いていました。

ひと月前に大叔母が亡くなり、まるで姉妹同士で示し合わせたようにその日辺りから祖母の体調の様子が急に落ち込んだので、もしかすると大叔母が導いたのかもしれません。
大叔母も祖母も、私の幼少期に大変お世話になった存在です。特に私自身、自他ともに認めるおばあちゃんっ子を自負していたのですが……先述した通り覚悟に覚悟を重ねすぎ、いつか来る日を一年想定し続けていたせいか、悲しみはびっくりするほど薄い……と自分で感じています。小さい頃の、あるいは思春期の頃の私が見たらこの薄情者がと罵られるだろうと思います。祖父の時や恩師の時に比べてあんまりにも悲しみにくれてない。一番大好きだったお祖母ちゃんなのに! ――社会人になって数年、仕事も忙しく休養もあまり取れてないから感受性が鈍っているのだと言うのはあさはかな言い訳でしかないです。

亡くなったことは確かに悲しい。けど、もう体をぼろぼろにしなくてもいい、もう安らかな気持ちで旅立っていってもいい、もうお祖母ちゃんが苦しむことはないんだよ、と思うと、それはそれでよかった――そう思うのは間違っているのでしょうか。ここには書き表せないくらい、彼女の体は無理をし過ぎていました。それを見ているのはあんまりにも惨かったのです。

いつの話とは言いませんが、去年、泣きたくても、誰かに何かを言いたくても、どうにも心が動かない日がありました。その日なんとなく祖母を見舞いたくなって、病室に入った瞬間にぶわっと泣いてしまいました。子供の頃からずっと私は祖母の前でわんわん泣く奴だったので(すげー泣き虫だったのです)アラサーになってもこれかよ、と思いましたが、弱音を吐ける人が祖母しかいなかったのです。もう言葉も発せられず、はっきりとした意識があるかもわからない祖母でしたが――まあ私の目がそう見えたと言えばそれまでですが、心配するような眼差しを向けてくれたことを覚えています。

もう一つaikoがらみで祖母との軽いエピソードがあるのですが、それはまた後日。明日が通夜で明後日が葬儀です。ブログも二日おやすみさせていただきます。
祖母の孫として生まれたこと、生きてきたことを誇りに思います。祖母と過ごした幼少期、思春期を、私は一生忘れません。
ずっとずっと頑張ってきたね。でももう頑張らなくていいんだよ。
ごめんね、出来損ない孫で。結局全然孝行なんて出来なかった。
でも。でも。ずっとずっと、ありがとう。
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